父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
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三重県四日市市でオーダーメイドの有機肥料を製造、販売する株式会社服部は創立55年を迎えた。4代目社長の服部浩二氏と結婚し、専務取締役として総務全般を担当する服部直美氏は、農家に喜ばれる安心安全で高品質な肥料を一般の人にも買えるようにしたり、服部の肥料を使ってできたおいしいお茶や農作物を多くの人に知ってもらいたいとさまざまな活動を続けている。
株式会社服部は、146年前に服部浩二社長の曾祖父が創業した米穀商から始まった。その後羊毛加工業を営む傍ら、肥料を商うようになり現在に至っている。
「会長であり、義父の服部福芳が有機配合肥料を作り始め、その製造、販売を拡大したのが現社長で夫の浩二です」
結婚当初は、家業を継ぐことになるとは夢にも思わなかった。
「浩二という名前からして、まさか長男だと思わずに嫁いできました」
当初は肥料という商品に、あまり興味がもてなかったという。
「あるとき夫の納品に付き合って農家に伺ったら、車を乗り入れるなりその家のおばあさんが、手を合わせて頭を下げてくれたのです」
驚いた直美氏が訳を聞くと、良い肥料のおかげで質の良い農作物が実り、収穫量が上がり、儲かっていることが、とてもありがたいとお礼を言われた。
「ありがとう、ありがとうと何度も言われている夫を見て、衝撃を受けました。肥料ってこんなにも人に感謝されるものなんだ。それを届けるのは、なんて価値のある仕事なんだろうと感動したのです」
浩二氏にしてみれば、「正直に品質の良い肥料を作って、中間マージンを削減して農家に届けているのだから、農作物の質や収穫量が上がり、以前より利益が上がるのは当たり前」なのだそうだが。
良い品質の肥料が安く手に入るらしい。土壌改善のアドバイスもしてもらえると生産者の間に口コミで広がり、販売数量は飛躍的に伸びた。商圏が拡大したことで、工場や倉庫は創業時の5倍の規模になっても追いつかないくらいだ。
「夫はもともと建設会社で働いていたので、効率的な導線の工場設計をし、ロボットを使って機械化したおかげで、事業は拡大していきました」
三重県は生産量全国3位の伊勢茶で知られるお茶の有数の産地だ。服部の肥料は自然とお茶農家の間で有名になり、やがて静岡など県外にまで広がっていった。
「良い品質の茶葉で入れたお茶は、香りがよく、何とも言えない甘みがあり、色もきれいなんです」
こんなにおいしいお茶なのだからもっと多くの人に知って欲しいと、会社にスタジオキッチンを作り生産者と消費者を引き合わせ、イベントを催したり、ティーバッグ加工したお茶をマルシェで販売する活動などをしている。
「有機肥料の製造、販売は十分な実績が既にありましたから、知る人ぞ知る会社でいいと今まで企業広報らしいことは何もしてきませんでした。でも服部をもっと知ってもらえたら、生産者のみなさんがつくる農作物に付加価値が生まれ、もっと貢献できそうだと考えて、違う側面からサポートすることにしました」
まず会社案内やホームページを作ったり、SNSで発信したりして広く服部の有機肥料やコンサルティング活動を知ってもらうことから始めてみた。
「するとプランター菜園を始めてみたいとか、ガーデニングで悩んでいるなどの相談がくるようになりました。私の信条は、“声をかけられたらNOと言わない”です」
こうして京都のホテルと一緒に商品を開発したり、サロンや日本料理屋で出すお茶の提案をしたり、個人でも手軽に買えるようにと手のひらサイズのパウチに入った肥料を作ったりと試行錯誤を続けている。
「今では服部ブランドのおいしい伊勢茶のティーバッグを販売しています」
2022年、三重県が主催する女性起業家ピッチコンテストが行われ、そこに出てみないかと主催者に声をかけられた。
「そこで伊勢茶をもっと応援したいと考えて、自社ブランドのティーバッグ開発やマルシェ活動を開始していくことをエントリーシートに書いたら、書類審査を通過しセミ審査に出場することになってしまったんです」
本選に進むにはコンテスト用のスライド資料を作る必要があった。しかしそれまでカメラ付きのパソコンすら持っておらず、パワーポイントの使い方もわからない。ちょうど子育ての大切な時期と重なり、睡眠時間が削られ本当につらく苦しい時期だったという。
「審査に落ちてもいい、もう嫌だと泣いていたら、娘と息子が“どうせやるなら最後まで残ったほうがいい”と応援してくれました」
プレゼンの資料を一緒に暗記したり、タイムを計ったりという家族の併走のおかげもあって、投票で1位を獲得(実質グランプリ)することができた。
「そのご縁があってこのJ300アワードに応募することになり、後継ぎウーマン賞をいただきました」
そこにあるのは、「農家と肥料の未来を創造する」という強い意志だ。
「服部で作った有機肥料を使って高い品質の農作物を作っている農家さんにもっと喜んでもらえるような場をつくりたいのです。そのために私は広告塔になろうと思っています」
マルシェに出て、おいしい農作物やお茶を買ってもらい、その良さを実感してもらったり、スタジオキッチンで肥料やお茶の勉強会を開いて、生産者と消費者を直接つなげたりという活動を続けていく。
「茶畑の葉の色やツヤを見れば、いい肥料を使っているかどうか一目でわかるので、本当は“茶畑がいちばんの営業担当”なんです。でも、こんなふうに動いているといろいろな方面からお声がかかり、“お茶と言えば直美さん”と言っていただけるので、もうやめられません」
そんな直美氏を社長であり夫の浩二氏は、「楽しんでやっているから、それでいいんじゃないですか」と温かく見守っている。
「でもよく”人のふんどしを履いて遊んどる“って言われています。自分が大きな肥料袋を作って取引量を増やしているのに、どんどん小さいサイズの肥料を作ってしまい、わけわからんって(笑)」
肥料の原材料の仕入れは、穀物相場や為替が関係しているので、一晩で何百万という金額で得をしたり損をしたりしてしまう。
「いったん100トンの材料を仕入れたら、倉庫に現物が入ってきてしまう。損をして作った肥料を目前にしたら気が滅入ることもあるでしょう。そんなときは“しゃあない”と全面的にYESで支えます」
いちいち報告されなくても、夫の顔を見れば「いいもん仕入れたな」「大損したんだな」とわかるという。最終決断はとにかくつらい仕事だと思うので、「それでよかったよ」と言って励ましたいと思っている。
「うちは中間業者さんを通さないので良く思わない方もいるでしょうし、全国から問い合わせが来るのに輸送費の問題で届けられないなど大変なことばかりだと思います。外食しても、ここは人が足りてないなー、こうしたらいいのにとか二人して経営者目線で話していたりして、思わず笑ってしまいます」
今は夫婦という関係を越えて、服部を支える同士に成長したかもしれないという。
「私に来る相談の内容は、多種多様ですが、夫に相談すればたいていのことは解決してしまうんですよ」
服部を100年続く企業にしたいという。だからこそ、今いる従業員の働き方を大事にしたいと考えている。
「勤めている会社を誇りに思ってほしいと思っているので、社屋を新築したり、制服を新しくしたりというチャレンジを続けています」
これらソフト部分の企画は、社長から全面的に任されている。
「そして会長が立ち上げたこの肥料会社を、私たちの代で整えて、次の代にしっかりと引き渡せるようにしたいと考えています。今はその過渡期です。知り合った方々がすべて幸せになる相乗効果を考え、展開していきたいのです」
次に会社を引き継ぐのは、親族でなくてもいいと夫婦で話している。
「世襲でダメになった会社も見てきていますし、本気で農家の方々を守りたいと覚悟し、大切な“食”に携わることを誇りに思い、努力する担い手であれば、今はいろいろな形の事業承継の方法があると思っています」
服部という”場“を通して、農家同士のコミュニティを作り、情報交換をしやすくしたり、自信をもってつくっている農作物を食べ比べたり、農業や農薬の勉強会を開いたりとまだまだやりたいことが次から次へとわいてくる。
「すべては、日本の農業の大切さを広めたい、知ってもらいたいという応援の気持ちからです。肥料屋の概念を覆して、日本全国の農業を続ける人を育て、若い生産者の生活が成り立つようにしていきたい。食に関われる幸せをもっと広げたいと思っています」
お客さまの声をお聞かせください。
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