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マウリッツハイス美術館から厳選したコレクションの絵画解説を掲載しています。 絵画の壁紙カレンダーもダウンロードいただけます。毎月更新しますので、月々を彩る名画をお楽しみください。
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ヨハン・マウリッツは、植民地オランダ領ブラジルの総督に任命され、1637年から1644年まで、オランダ西インド会社の代表としての職務をこなしました。南米に赴任したヨハン・マウリッツは、植民地がもたらす経済的な富だけでなく、人や植物、動物にも関心を示し、見識の高い統治者となりました。マウリッツに随行した科学者と芸術家のグループには、アルベルト・エックハウト(1610年―1666年頃)やフランス・ポストが参加しており、現地の住民、様々な風景、植物や動物の絵を書きました。プロの画家が実地調査を基に、南米のこの地域を絵に描いたのは、これが初めてのことでした。エックハウトの写実的なスケッチや絵画は、彼の観察眼の鋭さを証明しています。彼の描いた絵は、今も17世紀のブラジルを知る唯一の貴重な資料とされています。
特にカメの外来種を描写したのは、この作品が初めてです。カメをここまで細部にわたり詳細に描くためには、エックハウトが爬虫類を科学的に研究していたことがうかがえます。うろこに覆われた頭や足、甲羅の幾何学的な特性など、身体の隅々までを並外れた正確さで描写しています。作品のベースとなったスケッチは特に素晴らしく、2匹のカメが今にも飛びかからんばかりの勢いで向かい合っています。動きのある要素を取り入れることで、2匹の爬虫類の堅苦しい実地研究材料になるのを避けようとしました。
(マウリッツハイス美術館カタログより引用)
フェルメールが画家の活動を始めたのは、1654年頃です。初期の作品は歴史画で、聖書や神話の場面を描いていました。作品はアムステルダムとユトレヒトの画家の影響を受けています。これらの画家の作品は、フェルメールの義母が小さなコレクションとして所有していたため、毎日見ることができたのです。歴史画を描くには、多くの知識と考察が必要でした。そのため、実際の生活を模した風景、肖像画、静物よりも印象的だと見なされました。
女神ディアナはニンフたちと休息を取っています。ディアナは狩猟と夜の女神であり、このことは、彼女の足元にいる猟犬と彼女の額の月からもわかります。この夢のような雰囲気は、フェルメールの作品に典型的なものです。
(マウリッツハイス美術館公式ホームページより引用)
解説非公開となります。壁紙カレンダーをお楽しみください。
この絵画は、ハブリエルメツー(1629年―1667年)の全作品の中でも傑作のひとつです。この作品でメツーは、座っている女性の上着の柔らかいベルベットや毛皮、ドレスの光沢のあるサテンまで、さまざまな繊維を描き分け、レンダリングを完璧に仕上げています。間近で精緻に観察しても、この作品の筆使いはほとんど目に付かず、メツーの画家としての技量は称賛に値します。
机に向かって作曲している若い女性が、この絵のタイトルの由来です。女性の背後にいる男性は、興味をそそられた様子で女性の肩越しから覗いています。机の後ろに立っている別の女性はリュートを弾いています。17世紀、この楽器は「調和」や「一致」を象徴しており、この絵は女性と男性の結婚をほのめかしているのかもしれません。この平穏な情景とは対照をなすかのように、荒波に揺られる船を描いた絵画が炉棚の上に掛けられています。メツーは、浮気に対する警告として、この細部を意図的に描いたようです。
この作品に描かれた風景は、ウィレム5世ギャラリーから見える眺めそのものです。ホフ池とビネンホフの建物が広がり、右側には政府官庁が見えます。端にある施設はオランダ総督の居住区です。左側の背景に、マウリッツハイスもちらりと見えます。6頭の馬に引かれた大型馬車が通り過ぎていきます。馬車の中にはオランダ総督ウィレム3世も描かれていると思われますが、これは、右手前の人物が、帽子を脱いで敬意を表していることからも分かります。一団の先頭を進んでいる馬上の人物の手には、鷹が止まっています。この集団は明らかに狩りに出かけるところであると分かります。
ヘリット・ベルクヘイデ(1638年―1698年)は、ほぼ都市景観画のみを描きました。特に自身が住んでいたハールレム、アムステルダム、デン・ハーグを題材に選びました。人物は、ヨハネス・リンゲルバッハまたはヤン・ファン・フュヒテンブルフが代わりに描くことが多く、ハールレムではおしゃべりをする町人、アムステルダムでは異国の商人、デン・ハーグでは狩人など、描く町によってさまざまでした。この作品では、昼の明るい太陽に照らされたホフ池の風景を細かなディテールまで描いています。実際に見たものを正確に再現しているような印象を受けますが、当時はこのような風景は実在しませんでした。現実には、通りとホフ池の間に家が立ち並んでおり、取り壊されたのは1923年になってからのことです。
フランス・ハルスは闊達自在な筆使いで、満面の笑みを浮かべるこの無邪気な少年を描きました。素早い筆さばきで描かれた少年の乱れた髪は、この絵から発散されている強い歓喜をいっそう強調しています。首のレース飾りさえもが、純粋な喜びを表現しているかのようです。
この小さい丸型の画板は17世紀に人気の高かったトローニーという様式です。トローニーの目的は、この作品にみられる「陽気な少年」のように、ある特定タイプの人物を描き分けることでした。朗らかに笑う人や微笑む人の肖像を描くことは極めて困難ですが、ハルスは誰も成し得なかったような表情描写を習得しました。この作品のようなトローニーは、制作された作品数の多さからも、当時需要が高かったことが分かります。ハルスの描く快活な子供たちのトローニーに刺激を受けた彼の弟子や他の画家たちは、似たような絵を描きましたが、その大半はハルスの描く笑顔ほどには信憑性がありませんでした。
ハルスは1604年出版の『画家列伝』(原題 Het Schilder-Boeck)の著者として有名なカレル・ヴァン・マンデル(1548年―1606年)に師事しました。この本の中で、彼は描写法について、「きちんと描く」、「大まかに描く」という2つの方法を記しました。一方はなめらかで緻密な作風となり、もう一方はそれとは正反対の荒々しく幅広い筆使いになります。ヴァン・マンデルは読者に対して、「大まかに描く」技法は最高の巨匠だけが使いこなせると警告していました。まさにこのスタイルこそが、傑出した才能を持つハルスが労せずに習得した様式でした。彼の的確な手さばきと鋭い眼識により、秀逸な効果を画面に生み出しています。
この少女は、頭を少し傾けて肩越しに絵の外の鑑賞者をまっすぐに見つめています。青みがかった灰色の目はきらめき、口元は少し開き、唇は艶やかに湿っています。黄色と青色の2本の布がターバンのように彼女の頭に巻き付けられています。耳元にぶら下がっているのは真珠の耳飾りです。構図中央に極めて印象的に配置されたこの大きすぎる装飾品が、ヨハネス・フェルメール(1632年―1675年)のこの作品名の由来となっています。本物の真珠だと考えるにはサイズが大き過ぎます。おそらくガラス製の「真珠風」の飾り玉にニスを塗ってつや消ししたものか、フェルメールの想像の産物かもしれません。
この絵はフェルメールの妙技が光る代表例です。少女の穏やかな顔は緻密に細部まで作り込むことなく穏やかな色調変化と筆跡を残さない筆使いでやんわりと描き上げています。彼女の衣服はさらにゆったりと描かれており、フェルメールの特徴とも言える反射光を表現した小さい点描が生気をもたらしています。その一方で、様々な材質が明確に描き分けられています。例えば、白い襟で用いられている分厚い筆使いは、乾燥したターバンの塗り方とかなり異なっています。フェルメールはこのターバンに非常に高価な顔料のウルトラマリンブルーを使用しました。しかしながら、やはり最も際立つ特徴は、数回の筆遣いだけで描かれたこの真珠です。左上には明るいハイライト部が施され、下方には白い襟がぼやけて映り込んでいます。
17世紀当時のオランダの少女は一般的にはターバンを着用していませんでした。フェルメールは絵のモデルをエキゾチックな東洋風に仕立てるためにこの装飾品を使いました。レンブラントはこのような絵を多数制作しており、それらはトローニーと呼ばれました。トローニーは人物にできる限り忠実に似せて描くことを意図していなかったため、肖像画とみなすことはできません。おそらく実在の人物を描いていたと思われますが、トローニーは主に人物の特徴やタイプをとらえて習作することが目的でした。
このポッテルの作品を特別なものにしているのは、牧草地の雄牛という日常的なテーマを、非常に大きな作品に仕上げており、雄牛の背の周りを飛び舞うハエや、前景のカエルなど、細部にまで注意して描かれているためです。ポッテルは絵の中央に雄牛を目立つように配置し、やや下からの視点で描写しています。このため、雄牛が水平線上に高くそびえているように見えます。季節は夏。ヒバリが空高く飛び、太陽が輝いています。一方で、右側には嵐が生まれつつあり、晴れた牧草地に暗い影を落としています。レイスウェイクの教会が地平線に見えます。ポッテルがこの作品を制作していたときに住んでいたデン・ハーグ近郊で描かれたことが分かります。
これまで鑑賞者は、ポッテルが実際に雄牛を見て描いたと考えていましたが、実際にはそうではありませんでした。畜牛の専門家によれば、この雄牛の角は2歳のものであるのに、歯は4~5歳のものです。さらに、肩は成牛のものですが、後四半部は若い牛のままです。ポーズも写実的ではありません。肩と後四半部は、わずかに曲がって描写されていますが、中間部分はまっすぐになっています。雄牛がこのような姿勢を取ることはありえません。おそらくポッテルは年齢の異なるさまざまな雄牛のスケッチを元にしたようです。自ら描き溜めた雄牛のスケッチの中から最適なものを何枚か選び出し、小さすぎず、大きすぎず、そして力強さを出しながらも、太くなりすぎないようになどと、可能な限り真実味のある姿を再現しようと試みました。
「雄牛」の制作時、ポッテルはわずか21歳でした。ポッテルが描いた他の牛、羊、その他畜牛の絵画はこれより小さいものでした。そのため「雄牛」は依頼を受けて制作したものであると考えられます。ただし、パトロンや依頼主は分かっていません。「雄牛」を描いた7年後、ポッテルの家族によると、ポッテルは「絵に没頭し過ぎ」たことが原因で亡くなっています。
この意欲的な作品は、トロンプルイユ、つまり鑑賞者の目を騙す作りになっています。アーチ状の道の向こうには古典的な彫刻や列柱がある立派な邸宅の中庭が見えます。中庭から階段を数段下りたところに、豪華なドレスで着飾った女性が立ったままで手紙を読んでいます。背景にはワインの樽が一杯に並べられた地下室があり、その上の部屋では机に向かって男性が座っています。この作品の現在の展示位置は高すぎます。地面にこの作品を置けば、水平線が目線のレベルに来るため、実際の空間が描かれた部屋の中につながっているような錯覚が得られたのでしょう。現在の位置では若干小さく見える女性の比率も、地面に置いてあれば適切になったかもしれません。犬は尻尾を振って、来客に挨拶しています。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627年―1678年)は、数年間、レンブラントの工房で働いた後、ドイツとローマ、ウィーンなどの各都市を訪れ、ロンドンでも数年間働いています。その後、故郷であるドルトレヒトに戻り、死ぬまで他に移り住むことはありませんでした。彼の著書『絵画芸術の高等画派入門』は、彼が死亡した年に発行され、大人気を集めました。ホーホストラーテンは、あらゆる分野の絵画を描きましたが、トロンプルイユ(騙し絵)がもっとも有名であり、最大の作品の一つがウィレム5世ギャラリーに収蔵されています。この作品が本来、誰の建物に飾るために制作されたものなのか、明らかになっていません。
このアンナ・ウェイクの肖像は、豊かな織物商の夫ペーテル・ステーフェンスとの結婚を祝って描かれたもので、前年の1627年に描かれた夫の肖像画の対として飾られました。アンナの左の親指にはめられた四角い指輪は、おそらく結婚指輪でしょう。美しく着飾り、白と黒のダチョウの羽根飾りのついた扇子を持つ彼女は、新婚の夫の方に身体を傾け、鑑賞者に顔を向けています。紋章学では右側は名誉を示しており、夫の右側に妻がいるのは珍しい構図ですが、これは、夫の肖像が独立した作品として先に描かれたものであるためと考えられます。アンナとは対照的に、ペーテルはほぼ正面を向いています。しかし、彼の視線と彼の手袋は左を指しているため、ヴァン・ダイクはアンナを右側に配置する他ないと判断したのでしょう。
ヴァン・ダイクの衣服に関する関心の高さは、アンナ・ウェイクの肖像でさらに顕著に現れています。フランスの当時の最新ファッションを反映したドレスが細部まで丁寧に描かれています。折り襟と袖口は、当時の最新スタイルのフランドル風ボビンレースで飾られています。
この作品は、オランダらしい風景に、生き生きとした印象を伝えています。気温が氷点下になると、老いも若きも、富める者も貧しい者も、氷上に繰り出します。この楽しい真冬の光景に、アーフェルカンプは村の凍った運河を選び、そこに農家、干し草の山、風車、木造の跳ね橋を描き入れています。人々はスケート、橇(そり)、コルベン遊び(ゴルフの原型)を楽しんだり、単にぶらぶらしたり、仲間と会っておしゃべりしています。一方で、アーフェルカンプは冬の遊びの危険も示しています。左の土手ではスケートをしていた数人が氷の穴に落ちており、橋の手前の女は滑って転んでいます。女のスカートがめくれ、剥き出しのお尻が見えるなど、アーフェルカンプはユーモラスなタッチを加えています。
ヘンドリック・アーフェルカンプ(1585年―1634年)は、北ネーデルラントで冬の風景を専門に描いた初の画家でした。冬景色というテーマは、16世紀末に向かうにつれ、フランドルで親しまれるようになりました。アーフェルカンプの絵は、高い水平線を特徴としたフランドル地方の特色に影響を受けているのが分かります。高い場所から風景を眺めることで、人々の活動を十分に見渡すことができます。奥行き感を出すために左に配置された大きな木によって、ステージのような質感を出しています。
2016年よりNNグループはマウリッツハイス美術館のメインスポンサーです。NNグループでは、マウリッツハイス美術館がもつ世界的に有名なコレクションで刺激とインスピレーションをあらゆる人に与えられるような数々のコラボレーションを行っています。
マウリッツハイス美術館とのコラボレーションについて ※英語表記のみです。
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