制度を活用する企業が急増!企業版「ふるさと納税」のしくみとメリット
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世界に名だたる毛織物産地である尾州(愛知〜岐阜にまたがる尾張地方)で、135年に渡り衣料向け繊維素材の企画製造を手掛けるのが三星グループです。
5代目代表の岩田真吾さんが、先代の和夫会長から事業を受け継いだ時の繊維産業は厳しい状況下にありました。
そこから未来を見据え、家業価値の再構築を試みて、数々の新しい提案をしています。
三星グループは、衣料向けに織物や編み物を作る三星毛糸(株)を根幹に、合成樹脂の着色や加工をする三星ケミカル(株)、ベンチャー企業投資や地域活性を手掛ける(株)ウラノスの3つの事業を手掛けています。
「ウールは織った後、洗って風合いを良くする工程が非常に大事です。それには尾州の良質な軟水が適しています。ですからこの尾州エリアは、日本最大の毛織物産地なのです」
しかしその生産量は最盛期の10分の一になっています。それに加えコロナ禍で大きなダメージを受けました。
「リモートワークで服が売れないこともあり、産地全体が目に見えて疲弊していくのがわかりました」
業界に先駆けて海外ブランドに直接売り込みに出向いたり、自社ブランドを立ち上げ製品を直販したりと新しい織物企業の在り方を模索し、業界に提示し、会社を支えてきました。
「繊維業界の先行事例を作ろうと動いてきましたが、それだけでは、産地が立ちいかないという危機感が募り、スイッチが切り替わりました」
そこからは、三星をもっと地域の人や使い手に知ってもらえるようにと考えた施策を次々に打ち出し、産業全体や地域を活性化しようとしています。
岩田社長は大学卒業後、大手商社やコンサルティングファームで働き、20代後半には、自分で会社経営をしてみたいと思うようになりました。
「今の自分なら家族を養っていけそうだという自信が生まれたことも背中を押してくれ、リーダーとして会社を経営したいと思ったのです。その時、自分には東京で起業するのと、地元に戻って家業で経営者になるの二つの選択肢があると気が付いたんです」
さまざまな可能性を考えた結果、100年以上続く会社を継ぐほうが面白いし、それをできるのは自分しかいないと三星に入社しました。
「商社やコンサルを経て、一旦『必ずしも跡を継がなくても良い』とフラットな気持ちになりました。その上で、家業を継ぐと決めたのは自分なんです。会社経営は大変なことも多いので、親に戻って来いと言われて戻るようでは、家業を継いでから嫌になってしまうかもしれませんよね」
2009年に入社して10カ月が過ぎたころ、早々と事業承継を打診されました。
「10年や20年修行をしたところで、わかったと言えるはずもない奥深い世界なので、経営をやるなら早いほうがよいとの父である先代の方針でした」
2010年の社長就任早々、コンサルティングファーム時代に培った数値管理を徹底して自社を見直せば、もっと利益が確保できるのではと考えます。実行に移してみると、みるみる社員のモチベーションが下がっていくのがわかりました。
「業績は横ばいのままだし、どうしたらいいのかとすごく悩みました。それでも、一旦任したからにはと先代からも何も言われませんでした。ようやく自分でたどり着いた答えは、やっぱり社員と一緒に汗をかかなくてはいけないということでした」
そこで、社員と共に生地サンプルをスーツケースに詰め込み、海外展開に挑戦。「三星の生地は世界でどう評価されているのか」の答えを求めて、ヨーロッパトップブランドのバイヤーに直接生地を持ち込むことにしたのです。
「その時に深い色合いや手触りなど最高の生地だと認めていただき、ゼニアの“メイド・イン・ジャパン”コレクションに採用されました」
一流ブランドから評価され、取り引きが始まったことで、社員や職人、そして経営者である自らも「自社の製品は未来に残すべきものだ」という誇りが生まれました。
厳選された最上級ウールだけを扱う自社ブランド「MITSUBOSHI 1877」
新しいチャレンジばかりではなく、2019年、祖業であった染色整理加工工場を閉めるという大きな決断も下しています。
「大量生産・大量消費を前提とした時代の工場で、再投資をしても回収できないだろうと考えました。先代に強い思い入れがあることは理解していましたが、事業にはそれぞれのライフステージがあると思うのです」
入社して7年間はこの事業を見守り続けましたが、勇気をもって撤退するのは後継ぎにしかできない仕事だと覚悟を決めて遂行しました。
「工場の最終稼働日まで一人も辞めずに仕事をしてくれたことを今でも感謝しています。三星グループに残りたいという人は全員受け入れ、転職を希望した人すべてに再就職先を紹介できたことは誇りです」
現在、三星では春になると「羊の毛刈り」イベントを行い、地域の人や、バイヤーを招いて、工場見学や地元のキッチンカーによるBBQなどを行っています。
「使い手と作り手がつながることで、双方に『ありがとう』が生まれます。寡黙だと思われていた職人が、工場見学のお客さまに『すごいですね。どうやってやるんですか?』と訊かれて、嬉しそうに説明していたり、東京でしかお会いできなかったお客さまがわざわざ岐阜羽島に来てくださったりして、仕事を超えた良い関係が生まれています」
また、オープンファクトリー「ひつじサミット尾州」を開き、新しい産業観光イベントの形を提案しています。
人と人とのつながりのなかで、時給いくらでは測れない「ありがとう」の数が新しい価値になる、そんな仕組みを自社だけでなく地域で作っていけたらと言います。
「お互いによいことなら自社だけに閉じるのではなく、地域みんなでやっていきたいですし、全国の後継ぎ仲間にもどんどん広げていければと思っています。会社経営を通して、人と人とのつながりの重要さをすごく感じていますから」
「ひつじサミット尾州」の代表発起人を務めて産業観光イベントで地域を活性化したり、「家業イノベーション・ラボ」や「アトツギファースト」で後継ぎ予備軍たちのメンターを買って出ているのも人の絆を信じているが故です。
「今手掛けていることが、何年か先の未来に花開いてくれたらいい。それこそが“100年すてきカンパニー”たる三星グループの願いなのです」
自分の息子は20代のうちに社長にしようと決めていました。早く社長にすればそれだけ失敗もたくさんできると思ったから。社長って大変です。だから責任を負わなくちゃいけなくなる環境に早く身を置いて、たくさん勉強したほうがいい。お金を借りるにしたって個人保証をしなくてはならなくなりますしね。
私だってそりゃ心配しますよ。だからつい事業に口を出してしまって大喧嘩になったこともあります。でも人は、若いうちにうんと失敗したほうがいいんです。早いうちなら失敗しても、また必ず取り返せるんだから。息子が香港でパン屋を開きたいと言ってきたときも何も言いませんでした。全部パーになることはわかっていましたけれどね。ああいう大金を損する経験をしてこそ、ピリッとして勉強になるんです。もしも大失敗をしでかしたとしても、もうそれは自分の息子なんだからそんなものは諦めなきゃしょうがない。
私も幼少の時から父に風呂の中で帝王学を叩き込まれました。「自分のすきなことをやれ。その代わり責任は伴うぞ」とね。アメリカに留学させてもらったり、とてもよい経験をたくさんさせてもらいました。 自分が会社を継いだ時には、相続で苦労をしました。ですから自分の親父には遺言を書いてもらって、株の半分は直接、真吾に相続できるようにしました。私を含め兄弟は権利放棄をしてね。母親の持ち株は、20年かけて計画的に生前贈与して、株の譲渡もすべて終えた形にして事業承継しました。
今は山荘で芝刈りをしながら、自然の暮らしを楽しんでいます。親がこうして人生を楽しまなければ、息子も経営を楽しめないでしょう?
よく社長の座に執着する人がいるでしょう?あれは社長という職業が趣味なんですね。だから自分の好きなことを早く見つけたほうがいい。そして息子は、自分の家族が困らないように健康に気をつけて事業を頑張ってくれたらいい。
でも、もし本当に困ったら助ける。そのくらいでいいんじゃないのかな。
三星グループ
代表取締役社長 岩田 真吾さん
慶應義塾大学を卒業後、三菱商事、ボストンコンサルティンググループを経て2010年より現職。2019年、ジャパンテキスタイルコンテストでグランプリ(経済産業大臣賞)授賞。2021年に産業観光イベント「ひつじサミット尾州」の代表発起人を務め、15,000人超を動員。ウールの回収再生プロジェクトReBirth WOOLやベンチャー×アトツギ共創基地TAKIBI & Co. など新規事業に挑戦中。「家業イノベーションラボ」や「アトツギファースト」のメンターも務めている。
三星グループ
代表取締役会長 岩田和夫さん
1943年羊年生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業後、単身渡米。帰国後1965年三星毛糸㈱入社。1985年三星毛糸㈱を始めとする三星各社の代表取締役就任。2010年より三星グループ会長就任。現在は自称「代表取締役木こり」。サウナ付きの山荘で芝刈りをしながら、時折訪ねてくる若い経営者たちに経営のアドバイスをしている。
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